第五章 海に潜る魅力、究極の意味を伝えたい

ジャックの純粋さと集中力海ジャック・マイヨールについてはさまざまな人物評があります。一部にはわがまま、気分屋、自己中心的などという評もあるが、それは純粋さ、正直さの裏返しだったと多くの友人たちは答えています。私も、ジャックの、自分に対して純粋で正直であろうという姿に魅力を感じた友人のひとりです。

「ジャックってどんな人だった?」と聞かれたら、自分の中に沸き起こる純粋な欲求に正直なまま人生を生きぬいた人だったと答えると思います。そんな彼と噛みあわなかったり、彼を拒否する人も確かにいたけれど、とにかく自分に正直な人でした。そして、子供のような少年のような気持ちを、ずっと74歳まで持ち続けて、でも、自分の体が老いていく現実に耐えきれなくて亡くなったのじゃないかと思うのです。夢を追いつづけて、いつまでも子供心を忘れずに、自分の中に沸き起こってくる純粋な欲求にいつも正直な人。社会的にこういうふうに振舞った方が得だというようなことは、あまり考えなかったのではないでしょうか。

もうひとつ彼のパーソナリティとして、私が魅力を感じたのは、彼の夢に対する集中力です。夢を現実にするための力、他に惑わされずにそれにまっすぐに集中していく力を彼は持っていたと思う。思いの強さとでもいうのでしょうか。それが、彼の56歳のときに、自分の最高記録である105mというのを現実に成功させた大きな要素だと私は思います。私が真剣にフリーダイビングを競技としてやるようになって思うのは、その集中力がいかに大切かということ。これは本当に感じます。

静と動の背中合わせ私が思うに、フリーダイビングの魅力の大きな要素として、「静と動の背中合わせ」というのがあります。普通のスポーツだと、競技の前にテンション高くして、「さあ、行け!」という感じで一気に力を放出するのが多いと思うのですが、フリーダイビングはその対極にあります。息を長く止めたりすることは、なんというか「無になる」という状態が必要なのです。いうなれば「静の境地」とも言える状態です。このような精神状態でありながら、コンスタントウエイトなら、体を動かして海に潜り上がってくる。「静」と「動」が同時に背中合わせで存在しなければならないのが、フリーダイビングという競技なのです。

それがすごく難しい......。自分の気持ちを高めながらも、「シーン」って静まりかえった状態。夜の、波音さえたてないシーンとした海のように静まり返った精神性と、高めて高めて最高に高めた開放する直前の力とを、同時に自分の中に持つ必要があるんです。ここに、ジャックが禅寺に通い、修行をして「無になる」ということを掴もうとした理由があります。

これが、フリーダイビングのすごく大事な要素で、そこに自分を持っていくことにものすごく難しさを感じるのですが、その境地に達したときに自分の中に沸き起こってくる精神的な深さというのが、ジャックの言う「哲学」とつながっているのだ思います。私はフリーダイビングの競技のこんな側面に、すごく魅力を感じます。いつも現実にひきもどされてはトライし、ひきもどされてはトライし......の繰り返し。なかなか「静」と「動」の境地に達することはできないのだけれど、でも、もう少し、極めてみたい、見てみたい、感じてみたい、知りたい、味わいたい、という欲求が消せない。

ジャックもこのように言っていたと思いますが、潜ることは「本能にいざなわれる欲求」なんです。「何故、海に潜るのか」と聞かれると、言葉では「純粋に潜りたいと思うから」などと表現するのですが、その内実は、こう、心に絶えようもなく沸き起こってくる欲求なんです。だから、「本能にいざなわれる」という表現はそのとおりだなと思います。

海に潜る究極の意味を伝えたい難しいことはさておいて、私がジャックに教えてもらったことで、自分の役割として伝えていきたいと思うのは「深く潜らないとこうした精神的な深みを感じられないわけではない」ということです。これは、自分がより深く、より長く潜ることを目指してきた過程で体感しました。

水面でプカプカしているだけでも、宇宙との一体感や人間愛、地球環境に対する思いとか、自分が大きな存在の一部であることなどを感じることができる。ジャックとの出会いを通して、また、自分の経験を通して私はこのことを確信しました。言葉で読んでもなかなかわからないかもしれませんが、私はこのことをなるべくわかりやすく、多くの人に感じてもらいたいと思っています。海で泳いだことのない人やスキンダイビングの初心者向けのプログラムを作ったり、自然学校の講師をやったりしているのも、そのためなのです。

私は今、「海に潜る」ということでは、ジャックが模索しながら見つけ、そして彼自身が通っていったのと同じ道をたどっている途中だと思えるのです。もちろん、記録や名声は彼には及ばないし、それを求めているわけでは全くありません。でも、たぶん、私はジャックが感じていた「海に潜ることの究極の意味」を見つける道の途中にいる......。いつか、ジャックが感じた極みに到達できたら......。それを誰の言葉でもなく、ジャックの言葉でもなく、自分の言葉で自分の感じた境地を語ってみたい。それを伝えるのが、ジャックが私に遺してくれた役割、使命だと思っています。

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